2018年12月25日

クリスマスの朝は一面の霜

クリスマスにふさわしく今朝は一面の霜に輝く塚原高原でした
午前8時頃に朝日が昇るとすぐに溶け始める儚い一時の無音の風景
キーンと張り詰めた冷たい世界にしばし小鳥も囀るのを我慢しているようです
朝日が当たるとすぐに木の枝という枝からポタポタと涙のような水滴が落ちていきます
まるで木が泣いているような風景ですね
一年の悲しい事件や辛い出来事を精算するかのようです

2018一面の霜1.jpg
2018一面の霜2.jpg
それにしても綺麗ですね!
カメラのファインダーを覗き込みながらついついうっとりとしてしまいます
寝室の窓を開け放ち凍りつくような空気をいっぱい吸い込めば心も体もシャキーとしますね
心臓にはあまり良くないのですがクリスマスですからと変な口実をつけてカメラを構えます
さすがに長い時間は無理なようです

例えば今『あなたに親友はいますか』という質問をされて『はい』と答えられる大人はどれくらいの割合で存在するのであろうか 私といえば『親友』という言葉を多分何十年も口にしていない 子供の頃には『私たち親友だよね』と確認しあったことも『だって親友じゃん』と笑ったことも『親友なのに』と泣いたことも確かにあった あったと思う でも、いつからだろう 口に出すことに気恥ずかしさを感じるようになって、そのうちに言葉を重く感じるようになった 『親友』は『友達』と何が違うのか 『仲間』とはどこで線を引くのか 気がおけずなんでも話せる、長い時間を一緒に過ごしている、弱音を吐ける、深刻な悩みを相談できる、あれこれと親友の定義を考えてみてもなんだかしっくりこない気がしたし就職、結婚、出産とそれどれの道が分かれて二十代から三十代の頃には親友を持つことは恋人を作るよりも難しいんじゃないかとさえ感じていた 『親友』という言葉は一種の呪縛だ 子供の頃はいや、正直に言えば大人になっても長らく親友がいないなんて恥ずかしいという気持ちはあったけれども四十歳も過ぎるとさすがにそんな呪縛も解ける 仲の良い人はいる 気軽にあって飲み交わせる人もいる 長く会っていなくても離れていても何かあれば力になりたい人もいる 相手は同じ気持ちでいてくれるとは限らないけれどもそれだけで良いじゃないかと思うようになったのだ もちろんもっと早く親友幻想から解き放たれる人もいるだろう 先の質問には恐らく『いいえ』と答える人の方が多いのではないだろうか でも、だけどこんな物語を読むとやはり少し羨ましくなる 大人になってもてらいなく『親友だ』と言い合えるのではなく胸の奥でそう思える関係が。頼って頼られて、迷惑をかけてかけられて、怒って怒られて、それでも『しょうがないな』と笑い合える関係が。それがどれ程難しいことなのかもう十分わかっているのに。

最近読んだある本の中にこんな文章がありましたのでピックアップしました
皆さんはどうでしょうか
今年の最後にちょっとだけ考えてみませんか

posted by オーナー at 20:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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